Title: Views of life and death
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日本では、亡くなった方へ向けて、「どうか安らかにお眠りください。」とか「(〇〇さんが)永眠されました。」という表現をすることがあります。
お亡くなりになった方の目が閉じていると、まるで眠っているようにも見えますから、そのような表現をするのも理解できます。また、インターネットで調べると、これらの言葉には、様々な背景や解釈があるようです。
これまではあまり疑問も持たずにこの言葉を用いていたと思うのですが、最近、ある著名人がお亡くなりになったというニュースが流れ、「どうか安らかにお眠りください。」とか「永眠されました。」という言葉を聞いた際、私の心は不思議な反応をしました。
「あれっ?死んだら、眠らなければならないの?いや、それは困る。」
自分でもこの反応には驚きました。どうやら私は、死後に眠るという発想はないらしい。なんだか、死後にはいろいろ動いて忙しそうなイメージがあるようです。
なぜだろう?
不思議に思い、その理由を考えてみました。
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前世療法では、死後、魂が体から抜ける場面も出てきますし、中間生に戻る場面も出てくることがあります。でも、忙しいというほどではないような…。
しばらくして、もしかして…と思い当たったのが、古代エジプトの死生観。
余談ですが、私は、古代エジプトの死生観を、2021年4月4日(日)まで江戸東京博物館で行われていた特別展「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話」で学びました。よろしければ、「初夢
2021(全五話)」をご参照ください。現在京都でも同展示会が開催されています。
この展示会で学んだところによると、古代エジプトでは、人々は死後に救われるために現世を生きていたそうです。輪廻転生を信じていたことも知られています。
それにしても、古代エジプトの死生観では、亡くなった方はめちゃくちゃ忙しそうなのです。魂が肉体を離れた後、死後の楽園アアルにたどり着くまで、様々な関門を通ります。例えば、42もの神々の面接による審査を突破したり、その後の死者の裁判で、心臓(イブ)を天秤にかけられる審査があるようなのです。
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42の神々との面接では、神々に対し、「私は生前、嘘はついていません。」とか、「私は生前、盗みは働いていません。」と言って、それを神々に信じさせる必要があるようなのです。その面接を突破するための呪文のようなものがあるらしいのです(註)。
この口頭審問で神々を突破できても、その後の死者の裁判では、心臓を秤にかける審査があり、死者が真実を語っているか、審査されるのだそうです。天秤の一方には死者の心臓が、もう一方には、真理の女神マアトの羽根(真実の羽根)がのっているのだそうです。その天秤が釣り合ったままだと、死者が真実を語っているということで、その魂はオシリスの治める死後の楽園アアルに行けるそうなのです。
一方、その人間の魂が罪で重いと傾くそうで、その罪とは、その魂が嘘偽りを述べているということのようなのです。するとその魂は、魂を喰らう幻獣アメミットに喰われ二度と転生できなくなるのだそうです。コワイ。
註:詳しくはこちらやこちら。
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輪廻転生できるというのは、再生復活を信じる古代エジプト人にとって大事(おおごと)。です。ですから、皆もう必死です。
いやぁ、忙しい、忙しい。古代エジプトの死者たちは、死後、神々の審査を通過するのに必死で、てんてこまいです。しかも、ドキドキする状況が続くのです。死後、眠っている暇などありません。
ですから、死後の旅路に備え、古代エジプトの人々は、生前から死後のマニュアル書「死者の書」で、死後の世界について学んでいたそうです。冥界で身を守る呪文などを学び、ミイラには死後の旅路が順調なものになるよう、護符(お守り)を置いていました。「エジプト展」で、様々な種類のちいさくて、かわいらしいとすら思えるミイラの護符を拝見しました。亡くなったご本人の思いはもちろんですが、死者が無事に死後の楽園アアルにたどり着くように祈りながら送り出す遺族の思いの深さにも驚嘆するほどでした。
呪文は暗記していたのでしょうか?本を棺に入れることもあったようなので、死後それを読みながら神々の審査を進むように考えていたのでしょうか?興味深いです。
でも、私には素朴な疑問が一つ…。
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42の神々の前で、「私は生前何も罪を犯してしません。」と答えなければならず、それを神々に信じさせるための、呪文まである。
思わず立ち止まった私。混乱した頭でつぶやきました。
「そ、それでいいの…?人間って、間違いを犯すことがあるよね?もちろん、その間違いから学び、改めることで、次に進めるよね。
そもそも、42の神々って、人間のうそを、見抜けないの?おまじないで嘘を隠せるものなの?神様って、そんなものなの??
いくらその後の最終審査で真実を告げているか、天秤にかけると言ったって、それでいいんかい??」
という大きな疑問が…。
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と、そこまで考えて、はっと気づいたことが。
「神様は全てお見通しである。」という考え方自体が、ある意味、現代のものの見方の一つなのである、ということ。
もしかしたら、古代エジプトの死生観を、数千年後の私たちが振り返って見て驚いているように、今から数千年後の人類が、現代の私たちの死生観を振り返ったら、「えぇ~!?」と驚かれることがあるのかもしれません。
精神性は時間とともに発展していくという考え方もあります。一方で、変わらないものもあると思います。数千年後に、何が残っているのだろう、と考えました。
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私の死生観は、古代エジプトにルーツがあるのかなぁ、と考えたりしていました。
改めて考えてみると、死生観とは不思議なものです。
死後は眠るという考え方も、日本の死生観の一つですね。
死後、あの世に戻って、スピリチュアル・ガイドたちとその人生を振り返り、次の転生の準備をする、という考え方もあります。これは前世療法や中間生療法などで同じような場面が出てくるため、おそらく古の人の作った死生観というよりは、古来から行われてきた瞑想や催眠中の事象から得られたものだと思います。
古代エジプトでも輪廻転生が信じられていたので、通じるものがありますね。
前世療法や中間生療法などが普及するということは、死生観が歴史的にどのように作られ、発展していったのか、理解するきっかけになるかもしれません。
今回の連載が、皆様が死生観を考えるきっかけとしてお役に立ちますと嬉しいです。