自分が望まない状況が相手に起きている時に、相手の最善を祈るということ

 

Title: Pray for people that the best things would occur to them, when they are having situations you do not want them to experience.

 

 

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先日アメリカ人の友人が連絡をくれました。彼女は、漢方や気功にも関心を持ち、コロナ禍でも、精力的に人を助けてきた人です。

16歳になる娘さんがコロナワクチンを打つと言い出したことに対して、非常に懸念をしている、と話してくれました。副反応が十分わかっているわけではなく、開発に時間をかけていないこと、mRNAを用いるという全く新しいワクチンになる、ということ等が主な理由です。

一方の娘さんは、お母さんの心配をよそに、思いきり反抗期中。お母さんの言うことなど聞きません。娘さんは、「16歳になったらワクチンを打つわ。そうすれば、ワクチンを打った友達と気兼ねなく遊びに行けるから。」と言っているのだそうです。娘の意志や周りの友達との関係は尊重したいけれど、親としての懸念もある。お母さんの気持ちとしては、「ワクチンは、そんな簡単な気持ちで打つものではないよ。」と伝えても、娘には響きません。友人はその思いの間で葛藤していました。

友人が言いました。

「今アメリカでは、こんなフレーズをよく聞くの。”God has a plan for me to die or not.(訳:私が死ぬかそうでないかは、神様に計画があるのよ。)”

皆この言葉を用いて、物事をよく考えなくなっているように思う。(例えば、コロナやワクチンの副反応で)たとえ死ぬような深刻な状況が起きても、それは神様の計画のせいで、自分のせいじゃない、自分にはその状況を変えられない、という意味合いで用いている。(本当は、自分を守るのは自分の責任でもあるし、人間が状況を変えることもできるのだけれど。)

私の娘もその言葉を用いる一人。コロナワクチンの件も、ワクチンを勧めるメディア、学校の先生たち、友達の影響が大きくて、打ち負かせないと感じるわ。母親として、力不足を感じるの…。」

娘の将来を憂える友人に、どんな言葉をかけてあげようか、と考えて、思いついたのが、「子供たちの最善を祈ります。」という言葉。友人もすぐに、「私も祈ります。」と答えてくれました。

 

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最善を祈る、とか、最善を願う、ということについて、考えてみたいと思います。

最善というのは、ここでは、娘さんの人生にとっての最善です。親としての願いは、娘さんが守られて、安全に暮らすことができることです。でも、果たして、それが娘さんが通る道かどうかは、わかりません。でも、何が起きるとしても、娘さんが、最も幸せになる道を選ぶことができること。たとえ娘さんが自分で選択したことのために、困難が生じても、その困難も学びの機会になるかもしれません。どんなことを経験するにせよ、娘さんの人生にとって、その状況で最善のことが起きるように祈る、ということです。

愛する娘が、親から見て、危険の中に入っていこうとするとき、何とも言えない気持ちになります。そのような状況での娘さんにとっての最善とは何でしょうか?

例えば、ワクチンという経験をすることで、プラスの経験のみであればよいですよね。でも、万一副反応が生じるかもわからない。でも、副反応の経験が、娘さにとってその時の最善の出来事として、娘をより成長させることになるならば、じっと見守ろう。友人はそう思ったのです。そして、まずは友人のメッセージが届く人に、声を上げ続けることにしました。

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ここまでは、愛情の通い合う人間同士での最善の祈り方です。

では、自分がとても受け入れられない、と感じる相手にはどうすればよいでしょうか?

実は、最善を祈るときには、自分がとても受け入れられない、と感じる相手のことも、同様に相手の最善を祈ります。なぜか?誰かのことを祈るときには、自分に対して祈っていることと同じだからです。

相手にとって、何が最善なのか、その様子を周りで見ている人間のレベルではわからないことがあります。たとえ相手が、自分とは異なる道を通っていっても、また、たとえ一見困難に見えたり、時には人の道に背いた行動をしていると思っても、その道が、その人にとっての最善の道になるように祈ることは、相手が相手らしくいること、自分が自分らしくいること、を可能にしてくれます。もしかしたら、時には、自分の犯した罪を償うことで、その人の人生が、最善になるかもしれないからです。

最善を祈る相手が、たとえ自分がとても受け入れられない相手であっても、その人にとっての最善を祈ることで、自分の心が落ち着いてくる経験もあるかと思います。なぜそうなるのでしょうか?不思議ですが、それが心というものの働きなのだと思います。

特に今は、この友人のように、愛する人を守れないと感じたり、無力だと感じることも多いかと思います。

そのような時は、まずは、自分を守ることを一番に、考えましょう。ワクチンを打たない選択をした方は、より自分を守るために、何ができるか、考えましょう。自分が最善の方向に進めるように、自分に対して最善を祈りましょう。それによって、周りのことが、それぞれの人の選択の結果である、と考えることができるようになります。

このように、周りをコントロールできないと感じる時には、自分に向き合う時だと考えてみると、今自分が何をすべきか考えることができ、今に集中できるので、気持ちが楽になるかもしれません。

今まさに、誰かのことを守りたい、と声を上げておられる方もおられるかと思います。皆様のお役に立ちますと幸いです。