「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 『アイヌであればこそ』」@東京ステーションギャラリー

 

 

 

Sat, September 04, 2021

Title: An exhibition on Ainu; wooden statues created by Mr. Takeki Fujito, an Ainu artist. @ Tokyo Station Gallery, Japan. (Ainu are indigeneous people in Hokkaido, northern area of Japan)

 

 

 

皆様、こんにちは。

 

この数年、アイヌのことを知りたい、という思いが強くなっていました。

昨年、東京の日本民芸館で行われた「アイヌの美しき手仕事」展に伺いました。日本民芸館は、アイヌ民族の工芸文化に深く心を惹かれた 柳宗悦(1889–1961)の創設です。

会場で、柳宗悦の書いた、アイヌの人たちはとにかく彫る、という内容の文章を拝見しました。木彫りのお皿などの日用品も、一彫り、一彫り、美しい模様が丁寧に彫ってあります。

なぜ彫るのか?

自分に問いかけました。会場でアイヌの前世に戻っていた私は、ピーンと思い出しました。

「神様とつながるためだ。」

祈る。願う。

(自分を含め)みんなが守られますように。カムイ(神)がそばにいてくださいますように。豊漁になりますように、食べものが十分ありますように。どうかお守りください。どうか、お守りください。

彫ることは、神様とつながる方法の一つ。一彫り、一彫り、彫っていると無心になります。願いを神様に届けつつ、神様と対話する時間でもあったかもしれません。

柳宗悦は芸術に人間のエゴが混じると、芸術性が落ちてしまうことを嘆いていました。そのような中、アイヌの人々が、無心に、純粋に彫る姿を見て、感銘を受けました。信仰が残っている場所で育つ芸術の輝きを見たのです。

その時の展示は、主に戦前の貴重なもの。今その文化の根源はどうなっているだろう、と思いながら、会場を後にしたのです。

そして、約一年後の先日、電車の中で、あるつり革広告にふと目が留まりました。東京駅の東京ステーションギャラリーで開催されているこちらの展覧会です。

「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 『アイヌであればこそ』」

2021年7月17日(土) - 9月26日(日)

 

写真から伝わる、生き生きと生きているかのような熊の姿に、目が釘付けになりました。

たまたまスケジュールが合ったので、すぐに翌日観に行きました。平日の閉館間際で人が少なく、その時会場にいたのは、たまたま私のみでした。

音一つない静けさの中で、心静かに集中して作品と向き合いました。熊、狼、鹿を始めとする生き物や、アイヌの人々の木彫りの像。すぐに心を奪われました。

作品について言葉で表現しようとしても、うまく言葉にならない。その理由を考えてみました。

人の言葉を超えた世界で彫られたものだから、だと思いました。

藤戸竹喜(ふじとたけき・1934-2018)さんは、事前にスケッチもしない方だったそうです。じっと木を見ていると、どこを彫ればよいのか見えてくるのだそうです。後は、彫り出すだけ。一木(いちぼく)から仏像を彫りだした仏師たちも、そう仰っていたことを思い出しました。

藤戸さんは、両親、祖父母もアイヌのご出身でした。父親も熊彫りだったそうです。

30-40歳代の作品は、直感と才能にあふれる勢いのある彫りです。樹霊観音像(1969年)は、祈りと愛のエネルギーにあふれていました。圧倒されるような高次のエネルギーを感じました。

木から彫り出されたアイヌの人々は、威厳にあふれ、地に足のついた堂々とした生き様を表現していました。

12-13歳から彫っている(ご本人談:会場のビデオより)だけあり、40歳代にはすでに完成の域に達しているようにすら感じました。でも、藤戸さんはそれに飽き足らず、年を重ね円熟した世界に入っていくと、熊の愛情や思いやり、あどけなさ、といった、より繊細で豊かな感情まで彫刻で描き出そうとしているように感じました。普段熊が人に見せない表情なのかもしれない、と思いました。

アイヌの人々とその文化は、ネイティブ・アメリカンと同じように、迫害を受け、歴史的に厳しい経験をしてきました。しかし、藤戸さんの作品の迫力から、決してその本質をあきらめない、伝え続ける、という伝統が現代まで育っているように感じました。

会場で、この展覧会が、2021年9月12日にNHKで特集されるのだと伺いました。楽しみです。

ご関心のある方にぜひ観に行っていただきたく、ご紹介させていただきました。皆様の参考になりますと嬉しいです。